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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)566号 判決

控訴人

財団法人朝鮮教育財団

右代表者

朴喜範

右訴訟代理人

龍前茂三郎

外三名

被控訴人

財団法人朝鮮奨学会

右代表者

申鴻湜

被控訴人

新宿ビルディング株式会社

右代表者

林茂

右両名訴訟代理人

磯部靖

外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。控訴人と被控訴人財団法人との間において別紙物件目録記載の各土地(以下「本件土地一、二」という)という)について、控訴人が所有権を有することを確認する。被控訴人財団法人は、本件土地一、二について、東京法務局新宿出張所昭和三五年一二月一三日受付第二九、〇八六号所有権保存登記、被控訴人新宿ビルディング株式会社は、本件土地二について、同出張所昭和三五年一二月二四日受付第三〇、六四七号地上権設定登記及び本件土地一について、同出張所昭和三七年三月三一日受付第六、六三六号地上権設定登記の各抹消登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張証拠関係は、以下に付加もしくは削除する外は原判決の事実摘示と同一であるから、それをここに引用する。

第一、控訴人の主張

控訴代理人は次のとおり述べた。

一、被控訴人らの主張中、本件土地一、二及び旧々建物(昭和九年旧建物が建築せられる以前の建物)の購入資金に日韓併合前の旧韓国公使館の売得金が充てられた事実、昭和一八年被控訴人財団法人朝鮮奨学会(以下被控訴人財団と称する。)が設立された事実は認め、その余は争う。

二、控訴人財団法人朝鮮教育財団(以下単に控訴人財団と称する。)の法人格について。

朝鮮は昭和二〇年(一九四五年)八月一五日終戦により一旦米軍の施政下に置かれた後、昭和二三年南朝鮮に大韓民国政府が樹立され、現在に及んだのであるが、その間、米軍政への移行に際しては、右朝鮮米国陸軍司令部軍政庁法令第二一号(甲第五八号証)の規定により、従来の日本施政下で施行中の法律、命令は特にこれを廃止しない限りその効力の存続が認められ、しかも、控訴人財団設立の準拠法である朝鮮民事令(同法第一条により日本民法を依用)を廃止した事実はなく、昭和二三年米軍政より韓国政府への移行に際しても、建国当初の韓国憲法一〇〇条は「現行法令はこの憲法に抵触しない限り効力を有する。」旨規定し、朝鮮民事令の効力存続が認められたのである。従つて、控訴人財団は、日本施政より米軍政へ、米軍政より韓国政府へそれぞれ移行した後も、その準拠法令に変更なく法人格を継続して来たのであり、又、韓国民法(同法附則第二七条に依つて同法施行に伴い朝鮮民事令第一条の規定に依り依用していた日本民法を廃止したが、財団法人に関しては、同法三一条以下に略日本民法と同様の規定を設けている。)が昭和三五年(一九六〇年)一月一日から施行され、その準拠法が変つた際も、同法附則第二条が、「本法は特別の規定ある場合以外は本法施行前の事項に対してもこれを適用する。但し、既に旧法に依つて生じた効力には影響を及ぼさない。」と規定し、同条但書の規定により既に成立せる控訴人財団の法人格の継続には何等の影響を受けなかつた次第である。

さればこそ、控訴人財団の登記簿も控訴人財団が昭和二年一月八日朝鮮民事令に準拠して設立されて以来現在に至るまでその法人格を継続していることを前提として編成されているのである(甲第八号証)。

三、控訴人財団の理事機関について

1  日本施政下においては控訴人財団の特殊性からその理事等は朝鮮総督府の官職に在る者がこれに任ぜられていた関係上終戦により右理事等が昭和二〇年八月九日付でその資格を喪失(韓国、米国政府間に締結された「財政及び財産に関する最初協定」第五条の規定により米国政府から韓国政府に移譲された一切の財産中、昭和二〇年八月九日以前に韓国内に設立され、その理事権が日本国の政府機関、その国民又は団体に所属していた財団法人に対してはその理事権もまた韓国政府に移譲された(帰属財産処理法第二条第四項。なお、甲第八号証控訴人財団登記簿謄本の変更欄中一九六四年三月二〇日ソウル民事地方法院の臨時理事選任決定による変更登記事項参照。)ため、米軍政下の文教関係官吏、韓国政府樹立後は同政府文教関係官吏及び韓国教育聯合会会長を以てその理事長に選任して来たのであり(甲第五九号証の一、二参照)、ただ前記臨時理事選任のソウル民事地方法院の決定があるまでは理事変更の登記を経由しなかつただけである。韓国新民法が施行(一九六〇年一月一日)された後、一九六四年三月二〇日当時未登記の理事の総退陣の形式をとり、同民法第六三条の規定に則りソウル民事地方法院の決定による臨時理事七名の就任とともに、初めて理事変更の登記をしたのである。

2  控訴人財団は理事未登記の間も理事会又は理事による活動を続けて来たのであり(甲第六〇号証参照)、財団が韓国政府文教部管轄の下にある関係上右日本同財団所有財産に対する権利保全及び管理等については主として文教部長官を介して駐日代表部(韓国協定発効後は駐日大使館)等と連絡してその目的遂行行為をして来たのは当然であつて、控訴人財団の依頼に基づき韓国政府又は同政府文教部は同法人のため代理又は代行したものであり、この主張は、原審において控訴代理人が控訴人側の主体を恰も「韓国政府」又は「韓国政府文教部」の如く表現したことと矛盾するものではない。

3  控訴人財団が昭和三六年一二月駐日韓国代表部内に東京事務所を設置して同事務所長に呉敬福を任命した当時の文書である甲第六一号証及び同六二号証は同第五九号証の二及び同第六〇号証とともに本件が当審に移つた後に韓国文教部の旧文書綴中から発見されたため、原審証人呉敬福は記憶を喚起することができず、誤まつて一九六四年四月一〇日同証人が初めて東京事務所長に任命されたように証言したけれども、同証人は一九六三年(昭和三八年)中、控訴人財団を代理して本件不動産の権利保全のため、被控訴人財団に対し内容証明郵便の通告書を送付している。

四、控訴人財団が協定第二条二項(a)の「居住した」者に該当することについて。

1  「財産及び請求権に関する問題の解決並に経済協力に関する韓日両国間の協定」(昭和四〇年条約第二七号)(以下単に協定と称する)第二条第二項(a)の「一方の締約国の国民で一九四七年八月一五日からこの協定の署名の日(一九六五年六月二二日)までの間に他方の締約国に居住したことのある者」すなわち右協定についての合意議事録第二項(c)により、右(a)の「居住した」とは右期間内のいずれかの時までその国に引き続き一年以上在住したことをいうところ、控訴人財団は右居住者に該当し、本件土地一、二および旧建物(以下朝鮮教育会館とも称する)に対する控訴人財団の権利は、同協定第二条第一項に定める「完全かつ最終的に解決」の対象外である。

2  右「居住」とは法人について言えば、事務所又は事務代行者が引続き一年以上存在するか、又は引続き一年以上日本において当該法人の目的に副う活動を為すことを意味するものと解すべきところ、控訴人財団は、後述、控訴人財団東京事務所設置以前の活動として、終戦後の混乱期における学生等に依る本件土地一、二および朝鮮教育会館の不法占拠に対し、就中、昭和二四年五月八日朝鮮教育会館内で発生した学生同盟分裂による乱斗事件に際し、駐日代表部に依頼して米国占領軍の出動鎮圧及び警視庁淀橋警察署による不法占拠排除、保安等について折衝を重ね、その結果一応鎮圧不法占拠排除に成功した。(もつとも、その後被控訴人財団は昭和三一年頃から右建物の不法占拠に加わつた。)その後、控訴人財団は昭和二五年四月二八日第一二次理事会決議に基づき文教部長官を通じて同年五月一〇日駐日韓国代表部大使に対し控訴人財団所有の本件土地及び朝鮮教育会館に対する権利確保並に管理の状況に関し報告を求めるとともに、これに対し積極的措置を依頼し(甲第六〇号証)、駐日韓国代表部はこれに対応し、右権利確保のため引続き活動するとともに、在日連合国軍司令部(SCAP)、警視庁、淀橋警察署等治安当局に対しても、右朝鮮教育会館における保安につき折衝を保つたのである。

さらに一九五八年(昭和三三年)二月一日被控訴人財団は、「大韓民国駐日代表部担当官並に財団法人朝鮮教育財団代表」宛に本件旧建物の一部継続使用許可及び本件土地係争事件の解決期間猶予についての請願書を差出している事実(甲第四〇号証)に徴しても、控訴人財団が当時日本においてその権利保全のため被控訴人財団と折衝を重ねていたことは明らかである。

3  昭和三六年(一九六一年)一二月控訴人財団は、その財産管理体制確定のため駐日代表部内に東京事務所を設置するとともに、従来から本件土地及び旧建物の管理をしていた呉敬福を同事務所長に任命(甲第六一、六二号証)、その事務に専任せしめた。韓国民法が施行された後、同法に準拠して昭和三九年三月二〇日ソウル民事地方法院の決定により控訴人財団の臨時理事が選任され、次いで同年一二月三一日理事の選任がなされ、且つその目的、事務所等定款(寄附行為)の一部を変更した(甲第八号証)。呉敬福は前記新任理事によつても昭和三九年四月一〇日及び昭和四〇年一月一五日東京事務所長留任の辞令を受け(甲第四四号証、第四五号証)、昭和三六年一二月以来現在に至るまで、駐日韓国代表部(韓日条約発効後は駐日韓国大使館内)内に設置されてある控訴人財団東京事務所の所長として引続き本件土地一、二及び旧建物等在日財産の管理事務に当つて来た次第である(甲第三七乃至第三九号証)。

以上のとおり、控訴人財団は一九四七年(昭和二二年)八月一五日から一九六五年(昭和四〇年)六月二二日までの期間中引続き一年以上事務所、事務所責任者を日本に置き、且つ右期間中日本において引続き一年以上駐日韓国代表部を通じ又は東京事務所長を通じ同法人の目的に副う活動を為したことにほかならないのであるから、控訴人財団は前記協定の「居住者」に該当するのである。

五、被控訴人財団は措置法第二項の「保管者」に該当しないことについて。被控訴人財団法人朝鮮奨学会(以下単に被控訴人財団と称する。)は「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(以下措置法と称する。)第二項が「日本国又はその国民が昭和四〇年六月二二日において保管する大韓民国又はその国民の物であつて、協定第二条3項の財産権利及び利益に該当するもまのは同日においてその帰属者とする」としている本件土地及び旧建物の保管者に該当しないから、本件土地及び建物は被控訴人財団に帰属する謂われはない。その理由は次のとおりである。

1  終戦後の混乱期における学生等に依る本件土地及び旧建物の接収行動は、独自的になされた不法占拠であり、被控訴人財団の機関として又はその指示に依つてなされたものではない。当時被控訴人財団は昭和二〇年の終戦とともに活動機能を停止し、ただその名義が残存するのみであつて、理事の選任、理事会の決議又は理事による活動は全然存在せず、ただ従前の事務員の一部若くは在日朝鮮人学生等が被控訴人財団とは無関係に独自的に何等の権原なくして本件土地及び旧建物を事実上占拠し、或は昭和二四年五月学生同盟分裂に因る乱斗事件の際在日米軍が出動してこれを鎮圧し、警視庁淀橋警察署に依つて本件旧建物が占有、管理される状態であつた。

2  終戦後本件土地一、二及び旧建物に対する滅失登記(昭和二〇年の空襲により登記簿焼失)の回復登記期間内に被控訴人財団が控訴人財団のため回復登記手続をすることができなかつたのも(乙第一三号証の一一項)、被控訴人財団が終戦後の混乱期に活動の実態がない状態が続いたためであつた。従つて、控訴人財団が被控訴人財団に対し本件土地及び旧建物を無償貸与していた実体も目的も終戦とともに消滅し、両当事者間の右使用貸借関係は終了したものと謂わなければならない(法例七条、民法第五九七条第二項参照)。その後昭和二七年頃に至り被控訴人財団の役員と称する者が本件土地の一部を不法に処分したのを契機として(乙第一三号証の一六項、甲第三二号証の一乃至四、甲第四三号証、甲第四八号乃至五〇号証)、被控訴人財団が休眠状態を脱し昭和三一年一〇月新たに理事を選任し、その新任理事等によつて旧建物を占拠するに至つたとしても、既に終了せる右使用貸借関係が復活する謂われはないのであつて、不法占有にほかならない。

3  のみならず、被控訴人財団は昭和三五年一一月旧建物が真実は控訴人財団の所有であることを知りながら東京都新宿税務所に対し恰も同被控訴人財団の所有の如く偽つて建物所有者としての土地台帳登録名義人を被控訴人財団名義に訂正させた上、昭和三九年二月頃新築工事着手の際旧建物全部を取毀わしたのであつて、ここにおいて、被控訴人財団が控訴人財団から旧建物を無償貸与された使用貸借関係が当時まで継続していたと仮定しても、右旧建物の取毀わしにより旧建物を目的とする控訴人財団と被控訴人財団間の使用貸借関係は目的物件の消滅により終了したと謂わなければならない。

従つて、被控訴人財団は措置法第二項の「保管者」に該当しないことは明らかであつて、本件土地及び旧建物に対する控訴人財団の所有権が被控訴人財団に帰属する謂われはないのである。

六、控訴人財団が本件土地一、二及び旧々建物を取得した経緯

1  朝鮮総督府は明治四四年六月旧韓国公使館の建物内に朝鮮総督府朝鮮人留学生監督部を設置して、朝鮮人留学生の監督に当つていたが、大正八年四月これが監督業務を東洋協会に委嘱した。その後大正一四年四月総督府は右委嘱を解除し、同年九月朝鮮教育会に朝鮮留学生の監督を委嘱し、委嘱を受けた同教育会は爾来朝鮮人留学生の監督部を朝鮮教育会奨学部と称することとなつた。

2  朝鮮総督府(実質的には非法人であつた朝鮮教育会)は右の旧韓国公使館を売却し、この売得金で、大正一五年四月もと杉浦重剛所有の本件土地一、二およびその地上にあつた建物(旧々建物と称す)を当時の政務総監で朝鮮教育会代表者「湯浅倉平」の名で買受け、(甲第九、一〇号証、乙第三〇、三一号証)昭和二年一月八日控訴人財団の設立と同時に同財団に右不動産の所有権を譲渡し、現在に至つている。

3  控訴人財団は朝鮮教育会を維持する目的で設立された法人であるところから、爾来本件土地一、二及び旧々建物を朝鮮教育奨学部に無償で使用させることになつた。

4  しかして昭和一六年一月二二日、日本窒素肥料株式会社の野口遵が日本又は朝鮮における朝鮮人学生の奨学事業の資金として同会社の株式六万三、〇〇〇株(当時の時価五〇〇万円)を寄附して財団法人朝鮮奨学会維持財団を設立し、同財団は朝鮮人学生のため奨学事業の資金を供給すこととなつた。

5  昭和一八年度に至り、当時の朝鮮総督府学務局学務課長であり控訴人財団の理事であつた桂珖淳の提案により、朝鮮教育会奨学部を同教育会から切離して、内地に被控訴人財団として設立することとなつた。

かくして、被控訴人財団は爾来、控訴人所有の土地建物を無償で使用し、朝鮮奨学会維持財団からの寄付でその運営に当り、終戦に至つたもので、控訴人財団は、本件不動産取得の経緯に照らし、その所有権を被控訴人財団に贈与することはあり得ないものである。

6  旧建物を登記する際には朝鮮教育会の奨学部長が朝鮮教育財団の代理人として登記申請をしている(甲第五号証)ばかりでなく、仮換地証明願(甲第七号証)を作成するについては被控訴人財団が控訴人財団の代理人であるとしていることからしても、両者の関係は明らかである。

第二  被控訴人らの主張

被控訴人ら代理人は次のとおり述べた。

一、被控訴人らは当審において 控訴人財団が本件土地一、二について訴権を有しない旨の主張を徹回する。

二、控訴人財団の主張中、昭和三六年一二月東京事務所が開設されていた旨の主張並びに昭和三九年三月ソウル民事地方法院が控訴人財団の臨時理事を選任する以前に事実上理事職の選任が行なわれた旨の主張は、争う。

三、控訴人財団の理事機関について。

控訴人財団は従前、昭和三九年三月以前において控訴人財団の前理事八名が理事の資格を有していたが実際上の理事活動は行われていなかつた旨主張し、控訴人財団には久しい間、理事機関が欠けていたことを認めていたにかかわらず、当審において控訴人財団の理事機関について、「米軍政下の文教関係官吏、韓国政府樹立後は同政府文教関係官吏及び韓国教育併合会会長をもつて理事職に選任してきた」旨その主張を変更した。右主張の変更には正当な理由がない。

かりに控訴人財団主張のように昭和三九年三月ソウル民事地方法院の決定による臨時理事選任前に控訴人財団の理事が就任していたとすれば、右韓国裁判所の臨時理事選任の決定は違法であつて効力を生ぜず、したがつて昭和三九年一二月臨時理事らによつて選任された理事の資格、就中、本訴提起をなした控訴人財団代表理事韓相鳳が理事資格を有するか疑問とせざるを得ない。

四、控訴人財団の協定第二条第二項(a)の「居住した」者に該当する旨の主張について

1  控訴人財団は法律的意味において、終戦後日本に「居住」したことはあり得ない。すなわち、外国法人たる公益法人はそもそも日本国において認許されることはない(民法第三六条)から、日本において存在することは許されず、したがつてまた、日本国に「居住」することは法律上あり得ない。また民法第四九条第二項は、外国法人がはじめて日本に事務所を設けたときは、その事務所で登記をすませるまでは何人もその法人の成立を否認できる旨定めている。控訴人財団は日本において認許されることはあり得ず、従つて日本における事務所が登記されることもなく、何人もその成立を否認できるような幽霊団体が、日本に居住できるはずもない。

2  控訴人財団は事実上日本に「居住」した事実はない。自然人がそこに居住していたかどうかは居住に伴う生活現象の存在によつて確認することは容易である。しかし法人や団体がそこに「居住」していたかどうかを判断することは、しかく簡単ではない。公館の廊下に東京事務所の看板を出していたという程度では、作為の入り込む余地もあり、また客観的に確認する手段もない。本件においては、控訴人財団が東京事務所を住所としていたような確定日付ある文書等公式にその日時の証明されるような客観的な証明はなにひとつないのである。

3  前述したように、控訴人財団には昭和三九年三月以前理事機関はなかつたものであるから、控訴人財団が東京事務所長に呉敬福を任命するはずもなく、呉敬福に対する昭和三六年一二月一日付控訴人財団理事長徐明源の辞令(甲第六二号証)の出所は疑わしく措信できない。控訴人財団の歴代理事名簿(甲第五九号証の一、二)も同様である。原審証人呉敬福も昭和三九年四月一〇日の辞令(甲第四四号証)以前には控訴人財団の東京事務所の存在及び呉敬福が東京事務所長の辞令を受けたことを否定していることからもことは明らかである。呉敬福は「在日大韓民国民留民団中央総本部文教部局長呉敬福」であり(甲第三八、三九号証の発信人の肩書)、昭和三六年一二月に遡つて控訴人財団の東京事務所長であつたなど、作為に過ぎない。

五、本件土地一、二及び旧建物の所有権が被控訴人財団に属するに至つた経緯

1  日本に学ぶ朝鮮人学生に対する奨学援護事業として、大正一四年九月、旧朝鮮総督府は、朝鮮教育会にこの事業を委嘱し、あらたに奨学部を設けて東京におき、それまでの事業を発展させることとした(甲第二号証)。

朝鮮教育会とは朝鮮総督府治下の教職員や学務官僚などを会員とする非法人社団であつて、会長には政務総監、副会長には学務局長が就任し、総督府からの補助金によつて運営される「官製文教団体」であつた。事業としては、(一)、雑誌「文教の朝鮮」の発行、教育資料の刊行や教授法講習会の開催など、(二)奨学部による「在内地」学生の指導、(三)科学館の開設の三つであり(甲第一〇号証)、各道に支会があつたが、部と称するものは、東京にあつた奨学部だけで、奨学部は教育会のなかにあつても独自、特異の地位にあつた。初代奨学部長は服部暢、二代部長は重田勘次郎(昭和六年四月就任)であつた。

2  本件土地一、二及び旧建物は大正一五年朝鮮教育会奨学部が、杉浦家から、東京の奨学部事務所及び学生会館等に宛てるため、同会会長湯浅倉平の名で購入されたものであるが(乙第二九ないし第三一号証)、右購入資金としては、「日韓併合」後廃止された旧韓国公使館が留学生督学事業に使用されていたところ朝鮮教育会に無償譲渡された後売却され、この売却益が本件土地一、二の購入代金の一部に充てられている。

3  朝鮮教育会奨学部が会長個人の名で本件一、二を買取り移転登記をなすに際し、奨学部が非法人であつたため、名目上所有名義を保有させるために、朝鮮教育財団が設立され、昭和二年二月二七日移転登記をすませた後は、単に登記名義を保有するだけで、財団法人朝鮮財団がその目的として掲げた朝鮮教育会の事業の援助は全くなかつた。

4  本件土地一、二の実質的買受人である奨学部は、土地と旧々建物を奨学事業に十分に利用し、昭和八年から九年には旧々建物を壊して旧建物を竣工させた。

5  昭和一六年一月、すでに留学生は一万五千をこえ、新たに奨学事業に対する寄附もあつた機会に、事業を拡充強化するため、朝鮮奨学部は朝鮮奨学会(非法人)とその組織と名称を改め、朝鮮教育会から独立し、(乙第四〇号証)同時に、財団法人朝鮮教育財団の名義を信託的に籍り、実質的には朝鮮教育会奨学部が所有する本件土地一、二及び旧建物の所有権の無償譲渡を受けた。しかし朝鮮奨学会はその時点で非法人であつたから、その移転登記をすることはなかつた。

6  昭和一八年一〇月、非法人朝鮮奨学会は、旧朝鮮総督府の監督をはなれ、文部・厚生両大臣の認可をえて、ようやく財団法人となり、非法人朝鮮奨学会の本件土地を含む財産の所産権を承継した。ところが、戦時中、東京と京城間の連絡や往復も困難となつて事務が早急に運ばず、ようやく昭和一九年八月から九月にかけて「財産譲与」に関する控訴人財団理事会決議とこの決議を被控訴人財団に伝える書類が作成され、東京に送られた(甲第一九、二〇号証の原本)。被控訴人はこれらの書類を原因証書として昭和三五年本件土地一、二につき移転登記をしたものである。

証拠〈略〉

理由

一まず被控訴人らの本案前の抗弁について判断する。

1  控訴人財団は当事者能力を有しない旨の主張について判断すると、〈証拠〉によれば、控訴人財団は公益を目的とする財団で韓国民法のもとでその存続を認められ、かつ財団法人として登記され、ソウル特別市鐘路区世宗路一番地韓国政府文教部内に主たる事務所を有しているものであつて、韓国の法令上法人格と認められているものであることが明らかであつて、他に右認定を左右するに足りる資料はない。

かような外国の法令により設立された財団法人がわが国において民事訴訟法上当事者能力を有するか否かは国際民事訴訟法上の問題であるが、わが国際民事訴訟法上当事者能力については外国人の訴訟能力に関する民事訴訟法第五一条のような規定がないから条理に従つて決すべく、然るときは、民事訴訟については原則として訴訟の行なわれる地の法律すなわち法廷地法を適用すべできあり、当事者能力も一つの民事訴訟法上の概念であるから法廷地法によるべきである。したがつて本件における当事者能力の準拠法は法廷地法たるわが民事訴訟法であると解するを相当とする。

そこで控訴人財団がわが民事訴訟法上当事者能力を有するかどうかと検討すると、民事訴訟法四五条は民法において権利能力を有する自然人、法人はすべて当事者能力があるものとしているから、財団法人も当事者能力を有することはいうまでもない。このように、わが民事訴訟法は法人格を有する者に当事者能力を認めているところ、控訴人財団が韓国において同国の法令に準拠して設立せられた財団法人であることは前記認定のとおりであつて、控訴人財団もその属人法上法人格を付与されているものである以上、わが民事訴訟法第四五条によつて、当事者能力を有するものということができる。

被控訴人らは控訴人財団は非営利法人の外国法人であるから民法第三六条第一項により認許されず、したがつて同条第二項により権利能力を持たないから当事者能力がない旨主張するけれども、外国法人が外国法上有効に成立したか否かの問題と、外国法上有効に成立した外国法人が内国法上においてもまた法人として存在し活動しうるかどうかという問題とは区別して考えられ、後者の問題について、外国において外国法上法人格を取得して権利主体たることを認められているものに対し、わが国において当然、法的主体として存続し活動させるわけにはゆかず、権利主体としての承認を必要とするとするのが民法第三六条第一項の規定の趣旨であり、右は外国法人がわが国において法人として活動する場合の国家的監督の点からの規定であつて、国際民事訴訟法の準拠法として適用されるわが民事訴訟法上の当事者能力の有無を判断するに当つては、当該外国法人が外国法上有効に成立しているかどうか、すなわち前者の問題の考察をもつて足り、わが国において法人としての権利享有の承認に関する民法第三六条第一項の認許は問題とする余地はないと解すべく、したがつてこの点に関する被控訴人らの主張は理由がない。

また、被控訴人らは、控訴人財団は民事訴訟法第四六条にいう法人にあらざる財団として、わが国における代表者又は管理人の定めのあるものに該当しない、と主張するけれども、当裁判所は、前叙の如く、控訴人財団につき、国際民事訴訟法として適用される民事訴訟法第四五条により、その属人法上法人格を有する外国法人として、国際民事訴訟法上の当事者能力を認めるものであるから、この点に関する被控訴人らの主張の理由なきことも明白である。

2  被控訴人らの、控訴人財団は抹消登記請求訴訟について当事者適格を有しない旨の主張について判断すると、控訴人財団は前記のとおりその主たる事務所を韓国において、韓国法に基づき設立された外国の財団法人であるから、わが国において法人として民法第三六条一項により認許せられることはないから、わが民法上の権利能力を有しないというべきである。このようにわが民法上権利能力を有しない外国法人は登記請求権を有せず、したがつて、外国の財団法人として登記名義人となる申請手続を訴求することは許されないから、その場合は当事者適格を欠く訴えとして不適法とならざるをえない。(もつとも、後述するように、日韓請求権協定及び大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律により日本にある土地の所有権を主張しうるものとすれば、韓国の財団法人も右法律に関する権利の主張であれば、当事者適格を認める余地がないとはいえない。)しかし、わが国において民法第三六条第一項の認許はないとしても、前記甲第五四号証の一、二原審及び当審証人呉敬福の証言(同証人の証言中後記信用しない部分を除く)によれば、控訴人財団は現在その寄附行為において、在日韓国人教育の改良進歩を図ることを目的としており、東京事務所が開設され、東京事務所長を代表者として一応の活動をしている(活動開始の時期及びその実情については後記認定のとおりである。)ことが認められるので、わが民法上は権利能力のない財団と解される。そこで、わが国における権利能力なき財団が登記名義人となる登記が許されるかどうかという点について考察すると、かかる登記を不動産登記法は予定していない(第三六条第一項第二号、同細則第四二条参照)以上、権能能力なき財団の権利取得を原因としてその登記名義人となる申請手続を訴求することは許されないから、控訴人財団が、本件土地について所有権移転登記を請求するのであれば、わが国法上の権利主体としては権利能力なき財団と解せられる控訴人財団の請求は、当事者適格を欠く訴えとして不適法と解せられよう。しかしながら、本訴請求は、本件土地一、二について、被控訴人らに対し、所有権の確認と被控訴人ら名義の登記の抹消を求めるにとどまるものであるから、控訴人財団の提起するかかる訴訟の結果について、登記申請手続の途がないとはいえず、よつてかゝる訴訟も許さるべきであつて、当事者能力を欠くということはできないものと解する。

したがつて、控訴人らのこの点に関する主張も理由がない。

二本案請求について

1(一)  財団法人朝鮮教育財団が昭和二年一月八日朝鮮民事令に基づき、朝鮮教育の改良進歩を図ることを目的とする朝鮮教育会を維持することを目的として設立され、主たる事務所を京城府光化門通一番地朝鮮総督府内においたことは当事者間に争いがなく、昭和二〇年八月一五日終戦により朝鮮は日本から分離され、一九四八年(昭和二三年)八月一五日韓国政府が樹立されたことは証明を要しない公知の事実である。

(二)  中間の争いについては、当裁判所も、被控訴人らは控訴人財団が本件土地の所有権を有する事実を自白していないものと判断するものであつて、その理由は原判決理由中(原判決三八枚目表一〇行目から四〇枚目裏一行目の「ではない。」までの説示と同一であるから、これをここに引用する。

(三)  つぎに被控訴人らは控訴人財団と終戦前に設立せられた財団法人朝鮮教育財団との同一性・単一性について争うので判断すると、外国法人たる控訴人財団の法人格の成否については、準拠法として設立準拠法あるいは住所地法のいずれからしても韓国民法によるべきところ前示のように、昭和二〇年八月一五日の終戦の後朝鮮が日本から分離独立し、昭和二三年八月一五日韓国政府が樹立されたことは公知の事実であり、その間米軍の軍政が施かれたこともまた、公知の事実である。そこで、米軍政期間およびその後の朝鮮民事令(依用民法とも称する)の韓国における効力をしらべてみると、〈証拠〉によると、米軍政期間中、依用民法は軍政法令第二一号をもつて存続せしめられたことが認められ、韓国政府の樹立により軍政が終了したが、同年七月一七日公布実施された韓国憲法一〇〇条は「現行法令は、この憲法に抵触しないかぎり効力を有する」と規定しているから、一九六〇年(昭和三五年)一月一日新民法が施行されるまで依用民法は有効に存続したと解される。なお、同民法附則第二条は、朝鮮民事令により生じた効力に影響を及ぼさない旨規定している。以上韓国における民法制定まで朝鮮民事令が韓国における私法関係について効力を有した経緯に照らすと、韓国民法の解釈として、右附則の規定は、依用民法により設立された法人についても適用され、依用民法によつて設立された法人は新しい民法のもとにおいても、有効に、同一の人格をもつて存続を認めているものと解すべきである。

また、被控訴人らは財団法人朝鮮教育財団は朝鮮総督府内にあつた朝鮮教育会の維持を目的としていたものであるが終戦により朝鮮教育会が解消したことにより、事業の成功の不能が客観的に確定し、財団法人の目的が完全に異種のものとなつた点において法人は同一性を失なつた旨主張するのでこの点について判断すると、なるほど控訴人財団が朝鮮教育会の維持を目的として設立されたことは前記認定のとおりであり、〈証拠〉によれば朝鮮教育会は朝鮮総督府内の教育関係者をもつて組織されたものであることが認められるので、終戦による朝鮮総督府の解消にともなつて朝鮮教育会も解消し控訴人財団の目的も解消したように解し得ないでもないが、〈証拠〉によつて認められる、同財団の寄附行為中には寄附行為の変更の規定があること、同財団は一九六四年一二月三一日寄附行為を「在日韓国人教育の改良進歩を図ること」を目的とするように改め、同一財団として継続していること、旧法時代の財団法人教育会の活動としても在日朝鮮人学生の保護監督に関する事業がなされ事業活動に一貫性があること、韓国の法秩序のもとにおいて、旧法時代の財団法人朝鮮教育財団と控訴人財団は同一の法人として取扱つていること、等を総合すると、控訴人財団は旧法時代の財団と同一性、単一性を有するものと判断される。

したがつて、この点に関する被控訴人らの主張も理由がないと料断される。

2  つぎに、控訴人財団、被控訴人財団の設立の経緯ならびに本件土地および旧々建物の取得、ならびに旧建物建築の経緯については、当裁判所は以下に付加訂正するほか、原判決の理由中(原判決四〇枚目裏一行目「ところで、」から同四二枚目裏終行まで)に説示するところと同様に判断するものであるから、ここにこれを引用する。

(1)  原判決中各「証人」の前にいずれも「原審」を加え、「被告財団法人代表者」を「原審における被控訴人財団代表者」と訂正し、同四一枚目表三行目「水田直昌」の次に「当審証人桂珖淳」を付加する。

(2)  原判決四一枚目表七行目「同会」の次に「の一部局として」を、同八行目「そして」の次に「朝鮮総督府は」を、それぞれ加え、同一〇行目から一一行目「杉浦重剛」を「杉浦真鉄」と訂正し、同裏九行目「取得登記をすることは」の次に「同部が朝鮮教育会の一部局に過ぎなかつたために」を加える。

(3)  原判決四二枚目表四行目「され」の次に「たこと」を加え、同行「それら物件について」から六行目「こと」までを削除し、八行目「その後」を「昭和一六年」と訂正する。

3  つぎに、被控訴人らは抗弁として、被控訴人財団は本件土地の保管者として措置法による所有権を主張し控訴人財団は協定に基づく居住者の所有する物件として措置法の対象外の物件である旨主張して争うのでこの点について判断する。

そもそも、一九六五年(昭和四〇年)六月二二日日本国と大韓民国間に締結され、同年一二月一八日批准により発効した「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」第二条第一項は、日韓両国において処理を要することになつた両国及び両国民(法人を含む)の財産、権利および利益ならびに請求権に関する問題が、今後両国間で完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認しており、ただ例外として、第二項(a)において一方の国の国民で一九四七年(昭和二二年)八月一五日から協定署名の日(昭和四〇年六月二二日)までに他方の国に居住したことがあるものの財産および利益と、同項(b)において一九四五年八月一五日以降通常の接触の過程において取得され、または相手国の管轄下に入つた財産および利益には影響を及ぼさないとされている。そして第三項において、この例外に該当しない財産、権利および利益ならびに請求権の処理は、他方の国が処分を自由に決定することができることとなり、これらの財産等について執られる措置について、相手国にいかなる主張もできず、また、協定署名前の事由に基づく国および国民の請求権についても、今後いかなる主張もできない旨定めている。なお、右協定第二条第二項(a)に関し、協定の関連文書である「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との協定について合意された議事録」第二項(c)による、協定第二条第二項(a)にいう「居住した」とは、同条第二項(a)に掲げる期間内のいずれかの時までその国に引き続き一年以上在住したことをいうことが諒解されている。

そして、前述のとおり協定第二条第三項が一方の締約国およびその国民の財産権であつて、この協定の署名の日に他方の国の管轄のもとにあるものに対して執られる措置について、今後如何なる主張もなされえないことを規定し、右協定の対象となつているこれらの実体的権利について、具体的にいかなる国内的措置をとるかということは、当該締約国の決定にゆだねられたので、わが国においても大韓民国およびその国民の実体的権利をどのように処理するかについて国内法を制定して、協定第二条第三項にいう「措置」を執る必要を生じ、この要請により「財産及び請求権に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(昭和四〇年法律第百四十四号)が制定された。そして右措置法第二項本文は「日本国又はその国民が昭和四〇年六月二二日において保管する大韓民国又はその国民の物であつて、協定第二条第三項の財産、権利及び利益に該当するものは、同日においてその保管者に帰属したものとする。」と規定する。

右協定と措置法との関係をみるに、右協定は国家間に成立した約束であるから、各国民の相手国内に有する財産権の帰すうまでとりきめたものとは解し得ず、この財産権の帰すうはひとえに相手国の国内法上の措置(わが国についていえば措置法)に委ねられることになつたものと解される。そこで、措置法第二項は、物について、前叙のように保管者帰属方式をとり、日本国民が保管する韓国民の物は保管者に帰属するとする結果、韓国民のその物についての財産権が国内法的に消滅することになるものとしている。しかしながら、措置法第二項は、このような保管者たる日本国民に帰属する物は、協定第二条第三項の財産、権利および利益に該当するものであることを定めており、協定第二条第三項は同条第二項に定める居住者たる韓国人(法人を含む)の財産権が除かれることを定めていることは前叙のとおりである。したがつて、措置法の反面解釈として措置法の対象外とした、日本に一定期間居住する韓国民の日本にある財産は、日本国民が保管したからといつて、保管者たる日本国民に移転することなく、外国人となつた韓国民の継続的所有が承認されることとなるものと解される。この場合の韓国民に法人が含まれることは前記協定に明らかであり、右法人は財団法人を除外しているものとは解せられない。

然るときは本件土地が保管者として被控訴人財団の所有に帰したかどうかを判断する前提としては、まず、本件土地が措置法の対象から除外された物でないことを確定する必要がある。そして、措置法の対象外の物であること(一定期間日本に居住した韓国人の物)は、いつたん保管者に発生した権利を消滅させるという効果を生じさせる要件ではないから、元来控訴人らの抗弁に対する控訴人財団の再抗弁として主張すべき事項でなくむしろ控訴人財団が韓国の法人として本件土地の所有権の取得を主張するための要件とも見られるが、逆に措置法の対象の物である旨の主張は、そのこと自体控訴人財団の権利の消滅の主張を含むと解される。

この意味において、控訴人財団が昭和二二年八月一五日から昭和四〇年六月二二日までの期間内のいずれかの時まで引続きわが国に一年以上居住したかどうかについて判断することが必要となる。

控訴人財団が協定第二条第二項(a)にいう「居住」したものに該当するかどうかについては、当裁判所も当審における新たな証拠を考慮しても該当しないと判断するものであつて、その理由は以下に付加もしくは訂正するほか原判決理由中(原判決五二枚目裏一行目から五四枚目裏一〇行目まで)の説示と同様であるから、ここにこれを引用する。

(1)  原判決五二枚目裏一行目「この規定は、」とあるを「協定第二条第二項(a)合意議事録第二項(c)は」と訂正する。

(2)  五二枚目裏八行目の末尾に「被控訴人らは、外国法人たる公益法人はそもそも日本国において認許されることはない(民法第三六条)から、日本において存在することは許されず、したがつてまた、日本国に「居住」することは法律上あり得ずしたがつてまた、民法第四九条第二項により何人も、その成立を否認しうる外国財団法人であるから、いずれにしても、日本国に法律上「居住」することはあり得ない旨主張するから判断すると、協定第二条第二項(a)および合意議事録第二項(c)の「居住」とは前記規定の趣旨に照らし、社会的な事実上の概念であつて、法律上の法人の住所を指すものではないから、韓国の法人がわが国において、「居住」したといゝうるためには、権利の主体として権利能力を付与され、わが国に法律上の住所を有する必要はなく、権利能力なき財団としての実在をもつて足りると解すべく、民法第三六条あるいは第四九条第二項によりわが国における取引活動において外国財団法人の成立を否認しうることを根拠に、その財団の日本における社会的事実上の活動までを否定することはできないものと考える。よつて、この点に関する被控訴人らの主張は理由がない」を付加する。

(3)  原判決五二枚目裏九行目「ところで、」から五三枚目表一行目「とおりである」までを、「前記甲第八号証、原審証人申集浩の証言によると、昭和二〇年八月九日当時の控訴人財団の日本人理事全員がその資格を喪失したところ、ソウル民事地方法院が昭和三九年三月二〇日、同年一二月三一日までの控訴人財団の理事七名を選任し、ついて同年一二月末日控訴人財団理事韓相鳳他六名が就任したことが認められる。」と訂正する。

(4)  原判決五四枚目表七行目「原告は」を削り、「控訴人財団は、呉敬福が昭和三九年四月一〇日以前において、控訴人財団から控訴人財団東京事務所長としての授権を得ていた旨主張するけれども、当審証人呉敬福の証言中右控訴人財団の主張にあう部分は、控訴人財団の理事が昭和二〇年八月以降昭和三九年三月二〇日ソウル民事法院の決定により臨時理事が選任されるまで欠けていた旨の前記認定の事実と矛盾し、採用することができず、控訴人財団が」と訂正する。

(5)  末尾に、「控訴人財団は、当審において前記臨時理事選任のソウル民事地方法院の決定以前においても事実上理事機関が存在したと主張し被控訴人らは、控訴人は、原審において、昭和二〇年八月九日から昭和三九年三月ソウル民事地方法院による臨時理事の選任されるまで理事機関の欠缺していたことを自認していたにかかわらず、当審において控訴人が右のような主張に変更することは自白の徹回に該当するから右主張の変更は許されないと主張するけれども、控訴人の従来の主張によつても、控訴人は右期間理事機関を全く欠いていたと主張しているものではないから、当審における前記主張は控訴人の従来の主張を変更するものとは解し得ない。そこでこの点について判断すると、この点に関する当審証人呉敬福、同張俊の各証言中、控訴人財団の右主張に副う部分は信用できず、ほかに、このことを認めることのできる証拠がない。また韓国駐日代表部が、控訴人財団の依頼に基づきその目的遂行行為を行つてきた旨主張するけれども、理事機関の欠けているときに如何にして意思決定をなし得たか疑問があり、準拠法たる韓国民法によつてもこの点を明らかになし得ず、よつて右主張は採用することはできない。」を付加する。

然るときは、本件土地は措置法の適用を受ける物ということができるから、措置法第二項により、昭和四〇年六月二二日において保管する日本国民に帰属し、控訴人財団の所有権は消滅したこととなる。そして右控訴人財団の所有権消滅と保管者たる日本国民の存否その特定とは切り離して考えられるから、本件においては本件土地が被控訴人財団の所有に帰属したかどうかについて判断するまでもなく、被控訴人の抗弁一は理由があり、控訴人財団の請求は理由のないこととなる。

三以上の次第であるから、控訴人財団の本訴請求は理由がないから棄却するべきものとする。(控訴人の再抗弁として主張するところ(居住者であるとの点)が理由ないことは前認定により明らかである。)

よつて、理由を異にするけれども結論において正当である原判決は相当であつて、控訴人財団の本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第二項第九五条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(石田哲一 小林定人 野田愛子)

物件目録〈省略〉

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